STAFF
- 出 身 地
- 山梨県甲府市
宮城でジュエリーブランディングを学んでいた2011年。震災の経験から“当たり前”の幸せを痛感し、人の価値観を変えるものづくりを志す。ジュエリーの聖地甲府でセンスを磨き、震災から10年の時を経てブランドを設立。
『デザインとは人に気付きをもたらし、芸術とは人の心を築くもの』その両側面をもつジュエリーという素材を使って、新たな価値観が広がる世界を創造していく。
- 出 身 地
- 宮城県仙台市
幼い頃から絵描きや工作、発想を形にすることが好きであった。将来、物づくりに関する仕事に携わることが出来ればと思っていた。そんな中、興味を抱いたのがジュエリーであった。学生時代、ジュエリーの技法やデザインを学び、制作に打ち込んだ日々。創造力を養い、いつしか自分のブランドを持ちたいという夢を育てた。卒業後、甲府でジュエリー職人としての経験を踏んで、CADデザイナーに転身。デザインの仕事は念願であった。
日本の美意識は世界に通ずるという想いのもと日々学び、感性を磨き、創造する。
他にはない独自の提案をしていこうと心掛けている。
- 出 身 地
- 岩手県盛岡市
思えば昔からものづくりに魅力を感じていた。
次第にデザインに興味を持ち始め、ものづくりが仕事にできればと考えるようになっていた。
バイク、バンド、ファッションスタイリングなど様々なジャンルの経験をし、最終的にジュエリーに行き着く。
地元宮城でジュエリーを学び、友人などからのオーダーで製作を行う。
技術を高めるため、甲府へ。職人としてハイクラスなジュエリー加工を修業。
そして念願のブランドを設立。
上質なものをつくりたいという想いをデザイナー、そして職人としてかたちにしていきたい。
- 出 身 地
- 宮城県仙台市
ジュエリーの世界に飛び込んだのは20歳の時。きっかけは亡き父の存在だった。父は水晶の研磨職人として自宅で自営業を営んでいた。1970年代の話だ。この頃、安い中国産の水晶に国内市場が席巻され甲府の研磨職人の仕事は激減し次々と廃業していった。父も例外ではなく私が幼いころに廃業した。父の職人としての姿は幼かったこともあり記憶にはないが,気が付けば同じ道を歩んでいる。 最初は営業としてジュエリー業界に入ったが、物作りに惹かれ職人の道に入った。”血なんだな”と思った21歳の春の頃。職人としては遅いスタートだったが、そこから約20年間職人として生きてきた。必死だった。家一軒に値する高額商品も手掛けた。職人として、それなりの自負もあった。しかし、会社・自分自身の状況もあり再び営業職に。
職人として培ってきた経験と知識を最大限活かしていくという、新たな道を見つけた41歳の秋。
職人としての経験値が自身の最大の武器。
- 出 身 地
- 山梨県甲府市
高校卒業後、ホテルマンを目指し東京1980年【YMCA国際ホテル専門学校】へ入学、軍隊のような厳しい2年間を耐え、卒業時にホテルの道に進んだところで大きな一流ホテルは建てることは難しいだろうと考え、別の人生を模索中に『宝石の世界はどうだ?』と父の一言に心を動かされ宝飾業界へ。先ずはジュエリーの製作に携わりたいと思い、宝飾職人としての修業をスタート、会社勤めをしつつ【山梨県立宝石美術専門学校】の定時制に入学。その後アメリカの宝石鑑定(米国宝石学会 G.I.A. G.G )の資格を取得し、東京の宝飾卸会社へ営業として就職、数年後、父の難病の悪化により機に山梨県甲府市の地元に戻り、1989年友人の経営している宝飾品製造卸会社へ専務取締役として入社。
会社を22年間共同経営を経て2011年東日本大震災を機に現在の会社【株式会社B.L.S.】を設立。
現在、宝飾業界で減少しつつある職人の育成に尽力しつつ、世界に向けて発信するための新ブランドや甲府宝飾プロジェクトを立ち上げ、甲府のジュエリーを広める為に日々奮闘中。
- 出 身 地
- 山梨県富士吉田市
私の父は、祖父の代から続く建具職員でした。ベテランの職人として若手の育成に力を入れ、何人もの指導をする父をいつも近くで見ながら育ちました。職人として真摯に素材と向き合い、それを使う人の為に心を込めた『ものづくり』をする。その精神は、幼い頃から父の工場が大好きだった私の心にしっかりと刻まれました。『ものづくり』に惹かれた私は、山梨の宝石美術専門学校に進みジュエリーデザインの世界に入りました。デザイナーとして、手作りを基本とする甲府のジュエリーメーカーで経験豊富な職人の下ジュエリー作りの基礎から学び、多くのジュエリーブランドに多種多様なデザインを提供してきました。そして、エンドユーザー様と接する展示会開催をきっかけに、ジュエリーの持つ本当の力を感じ、自分から発信していきたい、と強く思うようになりました。 『Aile・Croire』は自身の力を信じ、夢や希望に向かい力強く生きる女性に寄り添えるブランドになりたいと思っております。
父から受け継がれた『ものづくり』の精神を胸に、想いを込めたジュエリーを “ジュエリーの街KOFU”から贈ります。